スーパーボランティアとして有名になった尾畠春夫さんです。
その尾畠さんが東京の講演から大分まで歩く旅に挑戦していました。
なんと静岡を終わろうとするところで断念しました。
その尾畠さんについて紹介いたします。
名前:尾畠春夫(おばたはるお)
生年月日: 1940年(79歳)
出身地:大分県日出町
1955年(15歳) 鮮魚店で修業開始
1968年(28歳) 結婚
1989年(58歳) 大分県内の山で清掃活動
2005年(65歳) 鮮魚店を閉店(定年)
2012年(72歳) ごみゼロおおいた作戦功労者 表彰受賞者
2014年(74歳) 東日本大震災もボランティア(500日間)「思い出探し隊」
2016年(76歳) 大分少女時も捜索ボランティア
2018年(78歳) 西日本豪雨
「自分は学歴も何もないけど世間に恩返しがしたい」
と活動を開始しました。
「子供は道を上に登っていく」という経験から、理稀くんが目撃された道路から山側に向けて捜索をしました。
「ご家族に直接お渡しする」と約束した尾畠さんは、警察から渡すように言われたようです。
しかし、理稀くんを大事に抱っこして母親の藤本美緒さんのもとへ届けました。
それがもとで日本全国版のテレビ放送で尾畠さんは有名になりました。
1月18日、東京から自宅のある大分県日出町まで徒歩で帰ることを宣言しました。
距離にしたら、なんと1100キロ超という道のりです。
「世界のこどもたちの幸福をねがう旅 79歳と3ヶ月の挑戦」
この文言が書かれた旗を掲げ、歩き始めました。
私が会ったのは、静岡入りした次の日の朝、ドライブンの駐車場脇でテントをたたんで出発する1/31でした。
気さくに写真を一緒に撮ってもらいテレビにも何故か映ってしまいました。
いい思い出が出来たのと、なぜかパワーまでいただきました(^▽^)
大分の家に娘さん夫婦が車で迎えに来てくれて戻ったそうです。
歩きの旅を断念して家に帰った理由
尾畠さんが記者に言っていた言葉
「24日の午後。日曜日に歩いたら地元の方やらが通行人が集まってるのを見て、車を左側にずっと止めて、ハザードをつけて交通渋滞になって。
いつ事故が起きてもおかしくないなと思って、今回はここで一応旅を打ち切って身を引いた方がいいなと思って。
だから誰にも知らせずにスッと身を引いたんです」
静岡県内を歩き続けた尾畠さんを一目見ようと住民たちが次第に殺到し、警察も出動する騒ぎに…。
見物に来た人たちが事故に巻き込まれてはいけないという思いから、志半ばで旅を断念したのでした。
私も邪魔をした一人かなぁ~
でも ジョークも飛ばし話を聞いているだけでパワーをもらえたことは事実でした。
尾畠さん・・休む暇なく次のボランティアの準備をしているとのことでした。
頑張って~~